2015/06/11
7月18日に聖路加国際病院の名誉院長日野原重明先生が自宅で天寿を全うされた。私は先生は亡くならないものだと思っていたのでこの報道を聞いてびっくりした。
先生のお話は学生時代、内科学会の席などで数回はお目にかかっている。とても話上手な先生だった。
先生といえば、わたしは2冊の本を思い出す。それは、120万部を超えた「生き方上手」と生と死の意味を描いた「葉っぱのフレディ」のミュージカルの脚本を思い出す。
アメリカの哲学者でバスカーリアという作家が絵本で分かりやすく正と死の意味を描いた「葉っぱのフレディ」の大体の内容は、春の葉っぱは夏になるとしげり、秋には紅葉し大地に帰る。その葉っぱの水分や養分は再び根を通して幹や梢に吸収され春になるとまた新しい葉っぱが生まれるという内容だったと思う。
「生き方上手」に「いのちとは、ひとりひとりのもつ大切な時間。」と書いてあったのがとても感動したことを覚えている。
これからの話は私が医学部学生だった頃、私の大学に講演に来られた時の話。16歳の若い少女が結核性腹膜炎となり症状が進行し嘔吐が続き、食事もとれなくなり苦しみながら家族にも看取られず一人寂しく死んでいった少女に対し、若き研修医であった日野原先生は医学の無力さを痛感されそれがその後の医師としての生き方に重大な影響を与えたことは想像に難くない。
私事ではあるが医師として30年以上の経験でも医学は無力であり大切な命を救えなかったことはいくつか経験している。死は確かに個体死でそれ以上でもそれ以下でもない。死ぬことで生命は終わりを告げる。
しかし、私は最近次のように死を考えている。
後、何年命があるかは分からないが私のいのちは私のもつ大切な時間だからその時間を1時間たりとも無駄にしないように心がけるようにしている。診療している時間、食事をしている時間、家族と過ごしている時間あらゆる時間をとにかく大切にしようと思っている。