2024/07/25
私は京都が好きだ。時間を見つけてはこれまで何度も足を運んだ。ある時は一人で、またある時は家内と時には子供たちや孫たちと。春は円山公園の桜、与謝野晶子も愛でたという「祇園の夜桜」として有名な枝垂れ桜この桜がライトアップされているのを見ると妖艶でこの桜に引き込まれそうになるのは私だけであろうか。夏は三条大橋から鴨川沿いに四条方面に向かって涼風の中をそぞろ歩きが私は好きだ。柳が風に揺られその風が私を追い越していく。なんと清々しいことか。秋は何と言っても永観堂の紅葉。瑠璃光院も素晴らしい。あれはいつだったか嵯峨野のトロッコ列車から見た紅葉も忘れ難い。冬の京都で思い出深いのが大覚寺。雪の日の大沢池や周りのお堂の雪景色は今も私の双眸に焼き付いている。
時を50年前に戻してみよう。私たちは1974年5月31日に結婚した。当時は京阪電車の止まる寝屋川に住んでいた。共稼ぎをしていたのでお互いの給料日はよく京阪電車に乗って京阪三条駅に出向いたものだ。ある時、急に南禅寺の湯豆腐を食べに行こうと話がまとまった。ガイドブックで順正を見つけて、有名な京都随一の湯豆腐店で食べようと二人で決めた。お店に入るときれいな庭の見える部屋に案内された。お品書きの値段を見て私たちはびっくりした。急いで、二人の財布の中身を確認してから一番安いコースを注文したことを覚えている。
それから時は流れ、昨年の秋再び湯豆腐の順正を訪れた。この時は湯豆腐会席料理を注文した。もちろん、50年前とは違って贅沢コースを思い切って注文した。さすがに満足するものであったことは言うまでもない。湯豆腐料理を堪能した後で我々は南禅寺金地院の特別拝観「猿猴捉月図」長谷川等伯作を見物することが出来た。ガイドさんによればこの絵に描かれている愛嬌のある、ユーモラスな顔をしたサルが水に映る美しい月に手を伸ばして月に触ろうとして池に落ちて死んでしまった逸話があると説明してくれた。さらにガイドさんは話を続ける。「猿猴捉月」とは、猿が水に映る月を取ろうとして溺死したように、身の程知らぬ望みを持って失敗して、もともこもなくすることをこの絵は表現しているのだと教えてくれた。それからというもの私は「猿猴捉月」と言う四字熟語を大切にしている。病院経営も生活の質も身の丈に合った、分相応のものを求めてきたように思うし、常に私は自然体の生き方を大切にしてきたつもりである。
ところで、私たち夫婦は5月末に金婚式を迎えた。思い返してみればこの50年は長かったように思う反面短かったようにも思える。サラリーマンを辞めて、医学部に再入学し,念願の医師になったのが36歳。大学病院を経験した後、民間病院で5年勤務。それから45歳で開業医となった。もうすぐ、ほそや医院は30周年を迎えることになる。二人から出発して今では7人の孫を入れて細谷家は総勢15名となった。その中で、妻の貢献は筆舌に尽くし難い。
もし、神様が許してくれれば、体が動くうちにもう一度パリ、スイス、カナダ、ハワイそして、日本の秘境巡りをしたいものだ。