2017/11/08
10月下旬のある日、診療が終わり医院の隣の自宅に帰ると妻は和室の片づけをしていた。実は末娘が里帰り出産をするので10月初めから我が家にある不要なもの、不要なものと言っても長男が結婚した10年前からたまりにたまった不要物だから軽トラ2台分は優にある。それを破棄して2週間になるがまだまだ整理をする必要がある。そんなこんなで今日は食事を外ですることに話はすぐにまとまり家内と近所の居酒屋に出かけた。活イカの刺身、焼き松茸、松茸の天ぷら、土瓶蒸しと松茸づくしのあてで酒を家内と飲んだ。二人とも疲れていたのですぐに酔いは回ってきた。酔いに任せて終活の話になった。詳細は話せないがとりあえず二人とも元気でいて、我々の人生は我々の大切な時間だからそれを大切にしようと改めて約束した。
さて、大谷大学の学長を務められた曽我先生は「念仏と信心」についての談話の中で次のようなことを話されている。信心とは、例えば糸に針をつけたようなもの。糸はお念仏。針は信心。いくらお念仏の糸があっても、信心の針がついていなければ着物を縫うことはできない。針がなければ、いくら糸があっても着物は縫えない。いくらナンマンダブツナンマンダブととなえても、信心がなければ助からん。と言う内容を先生は語っている。
夫婦も糸と針のようなものと思う。どちらが欠けても駄目で、二人で協力して着物(人生)を縫う(生きていく)ことが大事であると曽我先生の談話を読んで私はそう思った。
12月の上旬には6人目の孫が誕生する。二人だけの生活から暫くは4人の生活になることが嬉しくもある。まだ見ぬ子孫のためにも長生きをと思うが、私の寿命は果たしてどうなのか知る由もない。