2019/09/19
9月中旬の日曜日。今日は目覚めがとても良かった。なぜかというと、今日は岸和田だんじり祭りにある人から招待されたので、昼前に井原を出て岸和田に向かう予定である。楽しいことがある日は子供の時のようにウキウキする。朝庭の水やりをしていてもやはり、空は快晴で日差しもまだ強いが8月の時のような暑さはなく、風も秋の風となってきた。
最近、私は同じような夢をよく見る。それは、犬を連れて散歩している私がいて、曲がりくねった山道を歩いている。坂を登り詰めるとやや下り坂となり真っ直ぐに続く並木道が見えてきて、並木からこぼれる木漏れ日が見えそして林から落ちる深い影とコントラストをなしている。並木道の向こうには青空が広がり民家のようなものがぼんやりと見える。この後の夢は大事なものを一生懸命探している自分がいて、細い道を行ったり、一度来た道を引き返したりしてとても慌てている私がいる。そして決まったようにそこで目が覚めそれが夢だったと自答する。夢の中の道はセピア色をしていたと思う。
道と言えば、ここで私の大好きな高村光太郎の「道程」と題する詩を紹介しよう。
「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる ああ、自然よ 父よ
僕を独り立ちにさせた広大な父よ 僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ この遠い道程のため この遠い道程のため」
高村光太郎は1883年生まれの画家、彫刻家、詩人であり道程や智恵子抄で有名な作家です。道程とは「ある地点にたどりつくまでの道のり」という意味を持つ。光太郎は妻である智恵子と会って、彼の考え方も変わってきて智恵子と出会う前の詩と出会った後の詩では作風が変わってきたのがよくわかる。私もこれまで曲がりくねった道やいばらの道を何とか潜り抜け70歳まで辿り着いた。先程紹介した夢の中に出た並木道の向こうに見えたぼんやりとした民家まで辿り着くまで細い道を小川に沿って歩いて行こうと思っている。