井原市七日市町の内科・小児科・皮膚科 ほそや医院

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尊厳死 - ほそや医院

 朝食をとりながらテレビを見ていたら、緊急事態宣言が解除された地域の報道をしていた。湘南海岸、渋谷ハチ公前、そして浅草雷門いずれも自粛前の4割程度の人が戻ってきたらしい。4月7日に国が緊急事態宣言を出してからは確かに私たちの生活は一変した。不要不急の外出は避け、マスクの着用や手洗いとアルコール消毒の励行。日本は欧米諸国と違ってコロナの発生率・死亡率いずれも少ないのはミステリーと諸外国から言われている。これは日本人の生活スタイルや習慣そして島国などが影響しているとも言われている。これまでにも各種ウイルス感染症は世界で発症しその都度解決してきたが、今度ばかりはこれまでのものとは違って、解決への出口が全く見えてこない。ワクチンや治療薬が確立すれば何とかなりそうに思うが、早くても1年以上はおそらくかかるであろう。それまで日本経済が持ちこたえるか。ファシズムが蔓延するか。排外主義が強まるか。そんなことを恐れてしまう。

 ところで、私はコロナの影響でこれまで楽しんでいたゴルフ・プール・ジムそして旅行などすべてダメになったので、アマゾンで本を注文し下記の本を暇に任せて読んだ。それは、斜陽(太宰治)、木洩れ日に泳ぐ魚(恩田陸)、カエルの楽園(百田尚樹)、人間(又吉直樹)、デラシネの時代(五木寛之)、老人と海(ヘミングウェイ)、輝ける闇(開高健)などなど。その中で一番感動したのが南木佳士さんの「山中静夫氏の尊厳死」という小説である。南木さんのことはご存知の方もおられると思うが、彼は1951年生まれで群馬県出身。現在も長野県佐久市で総合病院の内科の医師をされており時折小説も書かれる。89年「ダイアモンドダスト」で第100回芥川賞を受賞された方である。この物語の主人公は肺癌患者で、すでに肝臓と腰椎に骨転移をしており余命数か月を宣告されている。生まれ故郷である浅間山の見える病院に転院してきた。主治医は今井という医師でこれまでいやというほど末期がん患者を看取その為思い疲労感を抱えている初老の医者である。ある時、今井と山名さんの間で話し合いがなされた。それは、昼からの数時間の外出許可と治療は痛みをとるモルヒネ治療だけにして意識がなくなる程度までモルヒネを増量しないという約束であった。今井はある日、山中さんが実家の裏で浅間山が見える場所に自分の墓を造っていることに気が付く。この小説の中で「尊厳死」というものは、患者の意思や希望に出来るだけ寄り添い、最後まで優しく痛ませず苦しませぬよう自然死を迎えさせることだとわかる。その点が家族と患者を楽に死を迎えさせる「安楽死」とは違うことがこの本を読んでいくうちに自ずと理解できる。最近、小椋佳さんが「老いの願い」という曲を歌っているがその歌詞に「できれば死にかたも自分で決めたいもの 贅沢望めるなら 痛まず苦しまず逝きたいもの」「自分らしく生きた 充分生きたと今なら思う」この歌こそが尊厳死を意味していると思う。

 話は変わるが、この原稿が皆様の目に触れるころ今より新型コロナウイルスの状況が好転していることを望むばかりだ。私は眠る前の5分間、何も考えないで明日はきっと良いことが一つでもあるだろうという怠惰な幸せを感じながら目を閉じる。